デイサービスの仕事は、利用者さんが帰ったら終わりじゃありません。

むしろ、管理者にとってはそこからが本番です。

16時半にサービスが終わる。
送迎に出る。
帰ってきて掃除をする。
そこから書類が始まる。

昔の僕は、この流れをずっと
“第二ラウンド”
だと思っていました。

今回は、管理者になってからの4年間、とくに一番きつかった時期の書類地獄を書きます。

これは、ただ忙しかったという話ではありません。

現場を回しながら、制度も記録も落とさず、しかも人が抜けた穴まで背負うと、管理者はどこまで追い込まれるのか。
その話です。

一番しんどかったのは、右腕がまだ育っていなかった4年間だった

一番しんどかったのは、僕の右腕がまだ育っていない、管理者になってからの4年間です。

16時半にデイサービスが終わる。
そこから送迎します。
利用者さんをご自宅まで送る。

だいたい、その送迎が終わるのが17時半過ぎです。

そこから掃除。
チェックリストに従って、必要なところを全部見ていく。

そして、そのあとに書類です。

その日に何があるかによるけど、たとえば

  • 地域密着型通所介護計画書
  • 第1号事業計画書
  • 個別機能訓練計画書
  • 運動器機能向上計画書
  • シフト
  • 業務日誌
  • 実績入力
  • 送迎表
  • LIFE関係
  • 事故があれば事故報告書
  • モニタリング
  • ケアマネへの連絡
  • チラシ作成
  • 勤務時間計算

こういうものが並びます。

月末月初になれば、もちろん書類はもっと増えます。

利用者さんが帰ってから、静かになるどころか、
そこから管理者一人に別の仕事が一気に押し寄せてくる。
そんな感じでした。

利用者さんが帰って終わりではなく、管理者にとってはそこからが第二ラウンドでした。

特に溜まりやすかったのは、計画書とモニタリングだった

この時期に特に溜まりやすかったのは、

  • 地域密着型通所介護計画書
  • 第1号事業計画書
  • モニタリング

このあたりでした。

この頃は、個別機能訓練計画書と運動器機能向上計画書については、機能訓練士が評価だけじゃなく作成までしていました。
だからまだ助かっていた面もあります。

それでも重かった。

当時、利用者さんはだいたい60名いました。
だから、何かが一巡遅れると、書類の重さも一気に60人分でのしかかってきます。

モニタリングも毎月だから、60件。
1件1件は短く見えても、積もると重い。

しかも体感では、書類は2か月分くらい遅れていた感覚がありました。
もちろん、制度的に問題が出るものは落とさないようにしていました。
でも、感覚としてはずっと追われていました。

地獄だったのは、機能訓練士が突然辞めた7月末だった

一番きつかった夜を今でも覚えています。

機能訓練士が突然辞めた、7月末です。

機能訓練士が辞めたから、全計画書を一旦閉じることにした。
そして8月から新しい機能訓練士に代わることを入れるために、全評価をやりました。

60名分、全部です。

備考欄には状況説明を入れて、代わりに僕が評価することも書いた。
これはリハプランの人に聞きながら進めました。

しかもこの時、科学的介護推進体制加算の評価も初めて自分でやったんです。

僕の仕事量が倍になったのは、この時でした。

深夜1時、事務所の床に倒れて、埃を見ていた

その夜、深夜1時くらいかな。
僕は事務所にいました。

もう頭が全然働かない。

それで床に倒れて、そのまま転がって、
床の埃をじーっと見ていました。

ああ、もうこのまま死んじゃうかもしれないな。
そう思いました。

それと同時に、
自分もこの埃みたいに、誰にも気づかれないまま消えていくんじゃないか
みたいな変な不安もありました。

でも、人間ってそんなに簡単には死なないんですよね。
10分もしたら起き上がれた。

ただ、頭は全く回っていませんでした。

妻からも
「大丈夫か?」
って何度も連絡が来ていました。

帰ったのは深夜2時頃だったと思います。

あの時、覚えていることがあるんです。

いつも混んでる道路が、深夜は全然混んでいない。
それと、赤信号の赤が、あんなに赤いとは思わなかった。

今でもあの赤さを覚えています。

一番危ないのは、限界を超えても翌朝また普通に動けてしまう時です。

それでも次の日、普通に送迎に行った

不思議なんだけど、次の日も普通に出勤しました。

朝、普通に送迎に行った。
普通に現場に入った。

ただ、フラフラだったのは覚えています。

この時、僕はわざと髭を伸ばしていました。

自分で演出したわけじゃない。
でも、自分の中ではもうサバイバルで、覚悟の状態だったんです。

自分が崩れたら、全部が崩れる。

そういう背水の陣でした。

別に誰かにそう言われたわけじゃない。
でも勝手に、そうなっていた。

覚悟ですよね。

そして、利用者さんには毎日謝罪していました。
覚悟と謝罪、その繰り返しです。

全然いい話じゃない。
全然きれいな話でもない。

でも、本当にそんなもんでした。

もうここで崩れてなるもんか。
そう思っていました。

この時、右腕だけは僕の仕事量を分かってくれていた

この時期、僕の右腕も少しずつ仕事を覚えてきてくれていました。

この人だけは、僕の仕事量が一気に増えたのを理解してくれていたと思います。

いつも僕に
「不憫ですね」
って言っていました。笑

でも、そうやって言いながら、ちゃんと現場を助けてくれていたんです。

経営者も、この時ばかりはさすがに、僕が夜残ることに何も言いませんでした。

他のパート介護員のスタッフさん達も、機能訓練士がいない現場を、少しでも楽しいものに変えようと頑張ってくれていました。

あの時は、
介護スタッフ全員が一段になった時
だったと思います。

だから、僕一人で戦っていたわけではない。
でも、管理者として背負う量だけは、やっぱり桁が違いました。

今は仕事量が増えても、見え方は変わった

今は、新しい機能訓練士が来ています。
でも、まだ精神的に不安定で、書類業務をさせると辞めてしまうリスクが高いと見ています。

これは甘やかしているわけじゃありません。
現場の安定というところを見た時に、僕はこれは投資だと思っています。

また、僕の右腕もまだ介護福祉士ではないので、今年、介護福祉士試験にチャレンジすることになっています。

だから今は、全仕事を僕が引き受けています。

1年前と比べると、仕事量は明らかに倍以上です。

でも、昔と違うのは、現場に出る時間が減ったこと。
右腕が現場をガンガン回してくれている。
だから、増えた書類業務を日中にも少しずつ進められるようになっています。

そしてもう1つ大きいのが、
僕自身の処理スピードが上がったこと
です。

1年前の危機を乗り越える前と後では、書類や問題の処理スピードが明らかに違います。

何が違うかというと、
構造を理解して、構造を組み替えて問題を解く力
がついたことです。

さらに、仕事にAIを組み込んだことも大きかった。
これも構造を変えるのにかなり役立っています。

書類地獄を抜ける鍵は、気合いではなく構造の組み替えでした。

まとめ|書類地獄を抜けるには、気合いではなく構造がいる

今、読者に一番伝えたい結論はこれです。

デイ管理者の書類地獄は、単なる「仕事が多い話」ではありません。
現場が終わってから始まる第二ラウンドを、属人的な根性だけで回していると、いつか本当に倒れます。

今回の僕のケースでは、

  • 16時半にサービス終了
  • 17時半過ぎまで送迎
  • その後に掃除と書類
  • 利用者60名分の計画書やモニタリング
  • 機能訓練士退職で全評価を抱える
  • 深夜1時に床へ倒れる
  • それでも次の日も出勤する

そんな時期がありました。

以前は、書類は終業後に根性で片づけるものだった。
でも今は、
書類地獄を抜けるには、気合いじゃなく構造がいる
に変わりました。

右腕を育てる。
役割を分ける。
日中に処理できるものを増やす。
AIも使う。
問題を構造で解く。

そうやって初めて、管理者は少しずつ死なない形に変わっていけるんだと思っています。


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ABOUT ME
リハビリデイ管理者
リハビリ特化型デイサービスの現役管理者。 現場運営・稼働率改善・スタッフ管理など、実際のデイサービス経営のリアルを発信しています。 これまで複数のデイサービス事業所で勤務し、稼働率が低迷していた事業所の改善に携わる。 担当した事業所では、稼働率を58.5%から79.8%まで改善。 ケアマネジャーとの関係づくり、紹介数を増やす営業方法、現場オペレーション改善など、 現場経験をもとにした実践的なノウハウをまとめています。 「現場で本当に使えるデイサービス経営」をテーマに、 管理者・生活相談員・デイサービス経営者向けに情報を発信しています。